中年おやじマッサンのブログ

自転車と剣道が趣味です。

偉人語録

 

松下幸之助語録

人と比較をして
劣っているといっても、
決して恥ずることではない。

けれども、
去年の自分と今年の自分とを比較して、
もしも今年が劣っているとしたら、
それこそ恥ずべきことである。

 

失敗の多くは、成功するまでに
あきらめてしまうところに、
原因があるように思われる。

最後の最後まで、
あきらめてはいけないのである

 

剣は心なり

心正しからざれば

剣また正しからず

剣を学ばんと欲すれば

まず心より学ぶべし

       島田虎之助

白米

お米は一緒やのに、炊飯機換わっただけで、味が全然違う!

まぁ今まで、壊れかけの炊飯機やったってのも関係してるけど、腹いっぱいでもうご飯いらんわぁって中で、ついつい茶碗大盛おかわり3回してもうて、動けない始末

ずっとZOJIRUSHIの圧力タイプの炊飯機が欲しかってん

ちなみに、この盆休みで、食べてばっかりおるから、外人並みに腹出てもた

 

体を復活させるために、筋トレも少しずつしつつ、ご飯を食べまくりました。

 

筋トレっていっても、エスカレーターをあえて使わずに階段とかのレベルですけどね

 

 そういや、入院中はずっとカツ丼食いにいきたかったなぁ

カツ丼が食いたくて、リハビリ頑張ったって言っても過言ではないですね
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 カツ丼以外に、鈴鹿にある亀八食堂のホルモン焼きも食べたかった


f:id:himasamasa:20170817101937j:imageリハビリって何か目標がないと頑張れないしね
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リハビリ?

私は幼少の頃から剣道をしています。

 

今日は中学から剣道を始めてくれた娘の為にミニ竹刀を作ってみた

お盆休みということもあり、リハビリも兼ねて、ゆっくり出来るので、久しぶりに休みの日に集中して何かを行ったと思う

 

もともと不器用な私としては、まぁまぁ出来た方なのかな?

 

集中してる時って無心で出来るからいいですね!

 
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入院中続き

顔面骨折の為、顎間固定(顔を固定するために上と下の、歯茎にワイヤーを通して口が開かないように縫い付けるみたいな?)してた間、流動食しか食べれなかった。

しかも病院食だから、味も薄いし食べた気がしねぇって事で、妻が考えて私に食べる喜びをって事で、味もあり、栄養もありのウィダーインゼリーを買ってきてくれて、それを3食のお供に飲んでた

 

月日がたち、顎間固定が外れて、普通のご飯が食べれるようになった時、病院食ですら、本気で嬉しく、噛んで食べれる喜びは半端なかった

 

外出ができるようになった時、父に連れられLAWSONへ

唐揚げ君レッド食べた時の感動忘れられねぇ

涙が出そうな程、美味しかった!!!!

 

それよりも、もっともっと早く食べたかったのが妻のご飯

 

病院にキッチンはなかったから、家でわざわざ、おにぎりを作って持ってきてくれた時には、この世に戻れてよかったって、心の底から思った

 

食べれる事に感謝です

入院中

自分自身では変化はわかりませんが、妻や回りの人の話によると、まず、意識が戻った直後から3ヶ月くらいは、回りの言っている事が理解できていなかったようです。

質問を投げ掛けても、チンプンカンプンな事を返答したりしていたみたい

 

私自身で記憶にあるのは、自分はもう大丈夫って気持ちが大きくて、ドクターと顔を合わせる度に『いつ退院できる?』ばかり聞いてたと思う。

 

妻曰く、あの時期は、頭がおかしくなってたとのこと。

 

入院中の事はあまり記憶に残ってないので、このへんにして、退院後に移ります

 

これも、回りからの私の変化です。

 

1.事故前は嫌味を人から言われても、笑って過ごせてたが、事故後は、過敏に反応してしまうようになった。

 

2.人の話や物事に集中できない

 

3.全ての事に自信がなくなり、臆病になった。

 

4.適切な状況判断の低下

 

と、その他にもいろいろあるけど、一言で言うと、症状的にはネットで調べてみたら、ADHDに似ているみたい

 

状態としては、こんな感じです。

 

足のリハビリ

まず、膝を真っ直ぐの状態で固定していたので、膝が伸びた状態で筋肉が固まってしまい、曲げるリハビリ

 

足を機械に固定し、機械がゆっくり曲げる方向に進んでいきました。

 

最初はほんの少し(角度にして2~3度)膝が曲がるだけでも、キツかった💦

 

毎日ほんの少しずつ角度を増やしていっては、休めての繰り返しで、正直痛さに耐えきれず、心が折れそうになったが、妻子や看護師さん、同じ病室の方の前向きな応援で乗り切れたと思う

 

膝の曲がりがある程度まできたら、次は歩く練習。

 

松葉杖を使い、病院の端から端まで、ひたすら歩き、回った

 

夜の消灯後も寝れないし、夜な夜な真っ暗な病院の廊下を歩きまくった

 

ちょうど、上の娘が4歳の時だったので、昼間は娘と妻と散歩みたいな感じで、歩く練習に付き合ってもらい、そのご褒美に、折り紙の折り方を伝授の繰り返し。

娘との距離が空くのが怖くて、売店で折り紙の折り方の本を買って、それを見ながら教えていました

 

下の娘は7ヶ月だったのですが、一緒に散歩しベビーカーの中から、笑顔で応援してくれてくれていました。

 

確かに、飛躍的な回復はなかったけど、妻にいつも声かけがあったのは

三歩進んで二歩さがるやで!

って

二歩下がってるけど、確実に一歩は進んでるんやで! って

 

そうでも思ってなければ、リハビリなんて、変化が少なく、楽しくねぇ

 

ブランクというか、変化が体感できないので、メンタル的にもネガティブスイッチONしてしまうから、回り(信頼する人)のそういう声って凄い助かったと思う。

事故の時の体の状態

1.意識不明2週間

 

私自身の記憶としては、川の向こうで凄く楽しそうなお祭りに向かうべく、川にかかる橋を渡っていました。

橋の形は山口県にある錦帯橋(きんたいきょう)のような湾曲した橋でした。

その橋の頂上付近に差し掛かった時に後方で妻子が泣く声が聞こえ、お祭りに行きたかったのですが、仕方なく妻子の方に向かって戻って行ったら、病室で目が覚めました。

 

 2.脳出血(意識不明中)

 

脳の事をよく知りませんが、お医者様の話によると脳の出血が酷く、このまま出血が収まらなければ、首から下が不随を覚悟してくれとのこと

 

脳の出血を抑えるため、病院の方々が、手を尽くして頂き、処置してくださいました。

あと1mmで首から下が不随になっていたそうです。

 

3.右膝靭帯(前十字、後十字)断裂

 

4.顔面頭蓋骨骨折

 

入院半年間

以上が私の場合の損傷箇所です。